拙著はリジェクト また…流れるでござるよ~逆オッカムの剃刀を使って論文を魅力的に~

【イントロ】
自分のアウトプットを、そして自分自身を魅力的に見せること。
世の中を渡っていく上では大切な技術です。
一方で、それがいき過ぎると嘘になってしまうためバランスが大切になります。
そんなバランスがアカデミックの世界で崩れているのではないかという懸念を表するエッセイ論文がNature Physics誌に発表されました。
 そこで本記事では、アメリカの物性物理学者Igor Mazinによって発表されたこのエッセイの概要を説明してみたいとおもいます。
 もちろん現実逃避です。
逆刃刀と逆オッカムの剃刀の違い(ぜんぜん違う)


【方法】
Nature Physics誌に発表された以下論文(は読めないのでそのArxiv版)を頑張って読みました。
2ページくらいの短いエッセイなので気になった方はぜひ読んで見てください。
I.Mazin, Inverse Occam’s razor, Nature Physics volume 18, pages367–368 (2022)
(Arxiv版:arXiv:2204.08284

【概要】
 「オッカムの剃刀」とは、
  • 「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
という指針、思考の原理のことです。ガリレオ以来、これまでの科学はこの原理に従って進歩してきたとMazinは考えます。すなわち、
  • 「2つの競合する理論がある場合、シンプルな説明のほうが好ましい」
という考え方です。
 ところが、ここ10数年近くこの原理よりもむしろ「逆オッカムの剃刀」と呼ばれる思考原理が採用されるようになりました。これは
  • 「2つの競合する解釈が存在する場合、よりエキゾチックな解釈のほうが好ましい」
という考え方です。この風潮は新しいものを好む人間の本性というよりも、
  • 「エキゾチックな解釈な方がNatureやScienceといったより高インパクトファクターな雑誌に掲載される」
という理由によるものです。資本主義の結果ですね。
 例えば線形磁気抵抗や異常ホール効果を観測したとき、そのメカニズムをディラックバンド分散に割り当てるか、その他の従来型バンド分散に割り当てるかという解釈の選択を迫られたとき、多くの研究者はよりエキゾチックな前者の解釈を採用するのです。
 また別の例として、Sr2RuO4が挙げられています。20年ほど前にNatureに報告されて以降、この物質は従来型BCS超伝導よりも、そして銅酸化物のd波超伝導よりも更にエキゾチックなp波超伝導であるという解釈が業界を支配していました。この解釈に反する結果も報告されていましたが、それらはシンプルに無視されるか観ないことにされてきたのです。ところが数年前、オリジナルのNMR実験が間違いであったことが実証され、20年近く信じられてきた解釈が間違っていたことが判明したのです。微妙な問題だからね、しょうがないね。
 このような例は他にもあります。つまり、オリジナルのエキゾチックな解釈を施した論文がNatureやScienceといった高インパクトファクターな論文誌に出版され多数引用されることで業界の考え方を支配します。一方で、それに反論する簡潔な解釈を施した論文はPhysical Review誌などの専門誌にしか掲載されずほとんど引用されないといった事態となっています。かなしいですね。
Nature & Scienceと専門誌の派手さの違い


 また例をあげると、従来のBCS理論では考えられない超伝導と磁性の共存を主張する論文がNatureに出版され年に50回以上引用される一大ムーブメントを生じました。一方で、その解釈の矛盾を指摘する理論的研究や、オリジナルの実験が不純物の影響だと指摘する論文はPhysical Review Bに出版され数年で数十回しか引用されていません。その間にもオリジナルのNature論文は200回以上引用されています。最初に強いことを言ったもんがちです。
【※ここの議論はエッセイ中に引用がない。リンク先の推定論文はHMTさんより情報提供】
 この現象はまた別の風潮を示唆しています。つまり理論的解釈のない実験論文は高インパクト誌には採択されないという状況です。かつてNatureに掲載されノーベル賞を受賞したカピッツァの論文は単なる超流動の実験結果を載せた1ページの論文だったにも関わらずです。牧歌的な時代もあったものですね。
 時代が変わったことがわかる別の引用が紹介されています。かつてジョリオ・キュリーは「実験結果が理論から遠ざかるほど、ノーベル賞に近づくことができる」と述べました。今はむしろ、理論的解釈のない実験論文はNatureやScienceの精緻なレビューに耐えることはできません。一方で状況を悪化させているのは、そうした実験論文が「実際は何もサポートしていない第一原理計算」によるサポートや、実際の物質とは関係ない仮定のもとになされた「バズワードに満ちた解析解」によって装飾され出版されていることです。これはお化粧!お化粧の範囲!
謎の実験結果を理論でサポートするイメージ(支えれていない)


 実験が研究の中心、王者であるというガリレオ以来の慣行に従い、NatureやScienceといった高インパクト誌は実験無き理論よりも、理論無き実験の方をアクセプトし易いという傾向を示しています。また同じ理論でも既存の未解決の実験を説明する理論をあまりアクセプトしないという傾向もあるとMazinは考えています。つまり未知の実験結果とエキゾチックな理論はセットでないといけないということですね。
 よくある論説では、そうしたアカデミックの風潮に対して、「匿名の査読者を信じるな、高インパクト誌に載ったからと言って信用できるわけではない、だから採用の際にCVに記載された高インパクト誌の情報や、引用数に気を取られるな」といった理想論が語られることが多いです。しかしMazinはそうした主張をイディッシュ語のことわざ「貧乏で病気になるより、金持ちで元気な方が良い」を引用して、綺麗事に過ぎないと切り捨てています。
貧乏で病気であるより金持ちで健康な方が良い(それはそう)


 Mazinが提案する、逆オッカムの剃刀に流れるアカデミック界への提案は次のようなものです。まず理論的解釈がないからと言って、実験結果を報告する論文を軽く観るなということです。もちろん理論的解釈の試みをしないことは問題です。しかし、
「AとBとCを検討したがどれもこの実験結果を解釈できない、つまりこれはDに違いない」
という説明は素晴らしいですが、
「この現象は、トポロジカルネマティックマヨラナワイルホニャララの理論に合致する!」
といった説明は、他の代替可能な理論をすべて適切に除外する理屈なしでは採用すべきでないということです。
貴方だけの最強概念を組み合わせて、最高の物性を作り出そう!


 Mazinはこの主張に読者(研究者)も高インパクト誌の編集者も査読者も異論はないだろうと考えますが、実際にはその通りにはなりません。
  • 研究者:うーん、非自明な理屈をひねり出したい。他の可能性も否定しきれへんけど、このエキゾチックな解釈が否定されるわけでもないから、強気の主張したろ!
  • 編集部:うーん、たしかに面白い現象やけど、このつまらない解釈やと査読者は満足しやんやろなぁ。残念ながらリジェクトや!
  • 査読者:うーん、データ自体はおもろいけどこの解釈は意味なさそうやな。でも否定もできへんし誰も気にしやんから、論文の売りってことでまあええやろ!
と言った感じで、全員が共犯として、逆オッカムの剃刀に基づく論文が量産され続けるのです。
全員が共犯となって逆オッカム論文が生み出されるイメージ図


 誰かのせいにするのではなく、自分たち自身の問題であるという自覚を持って、この逆オッカムの剃刀の風潮を止めるべきだとMazinは提案しています。最後に、Mazinはニールス・ボーアの言葉を引用して、オッカムの剃刀の原理を尊重すべきと文を締めくくっています。
 「有限個の実験データを正しく説明する不正確な理論が無限に存在する」
 
【まとめ】
誰しもが自分の結果を魅力的に見せたいものです。
その一方で観測している自然現象の真実はなんなのか?正しい解釈を積み重ねないといずれかどこかで綻びが生まれるのではないでしょうか?
もちろん綻びを先延ばしにして後の世代に任せてしまえばいいのですが、下手をすると自分自身の首を締めかねません。
みんながハッピーになる道が見つかるといいですね。
 

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