Cond-matデータから共著者ネットワークを探る
昨今、国家財政や企業の経営環境の悪化にともない、研究開発投資の選択と集中が求められている[1]。一方で過度な選択と集中は研究開発の進展を阻害するという主張もなされている[2]。実際に選択と集中を行うのであれば、その対象は他の研究者への影響力がより大きい研究者になされるべきであると考える。ここで、影響力が大きい研究者は、一定期間に複数の論文を出版し、多くの共同研究者とともに研究を進めていると考えられる。
本記事では、プレプリントサーバーarXivの固体物性分野Cond-matのデータを使用し、有力な研究者及び共同研究のハブとなっている研究者を特定することを目指した。
[手法]
共著者ネットワークの作成は先行研究[3]の手法を参照し、論文数取得のために筆者が一部改変したコードを使用した。調査期間は2015年から2019年までの5年間を対象とした。この期間のCond-mat分野の論文数は90705本であった。取得情報は該当期間における各研究者の論文数と共同研究者のネットワークとした。共同研究者ネットワークは各分野ごとにネットワークの構成員数が20名程度になるように、共同研究者数の閾値を設定し、閾値以上の研究者を抽出した。閾値以下の研究者はネットワークから除外したため、後のFigureで示すネットワークのエッジ数は必ずしも共著者数を表していない。
調査対象は以下の観点から選定した。
・次世代エネルギー:「超伝導」
・次世代情報処理:「スキルミオン」「マヨラナ」
・次世代材料:「グラフェン」「トポロジカル」
・工学的応用:「粉体」
解析に使用したコードと生データはGit-hubに保存している。
[結果]
・超伝導
超伝導とは特定の金属や化合物などの物質を非常に低い温度へ冷却したときに、電気抵抗が急激にゼロになる現象のことである[4]。Fig. 1に「超伝導」の研究者ネットワークを示す。検索ワードに該当する論文数は10261本であった。非常に複雑なネットワークが形成されており、特に中国系の研究者が上位に来ていることがわかる。日本の研究者では物質材料研究機構(NIMS)のK. Watanabe博士、T. Taniguchi博士が論文数、共同研究者ネットワークで上位に来ている。これは両博士が高品質なボロンナイトライド(h-BN)の提供元として世界中の二次元物質超伝導の研究に寄与しているためと考えられる[5]。
Fig. 1 論文数と研究者ネットワーク。 検索ワード「superconduct」、閾値:60。 |
・スキルミオン
スキルミオンとは、渦状の模様を形成している電子スピンの集団構造(渦状スピン構造)のことである[6]。Fig. 2に「スキルミオン」の研究者ネットワークを示す。検索ワードに該当する論文数は1027本であった。日本の研究者では東大のY. Tokura博士、M. Ezawa博士、N. Nagaosa博士が論文数、共同研究者ネットワークで上位に来ている。Y. Tokura博士が率いる東大・理研のグループは、ローレンツ顕微鏡によるスキルミオンの実空間観測を世界で初めて成功させるなど当該分野でもトップクラスの業績を残していることが知られている[7]。
Fig. 2 論文数と研究者ネットワーク。 検索ワード「skyrm」、閾値:15。 |
・マヨラナ
マヨラナ粒子は、粒子と反粒子が同一の中性フェルミ粒子の呼び名である。長年素粒子分野でその存在の実証が試みられていたが、昨今の研究から固体中の素励起としてマヨラナ粒子が実現しうることが理論的に提案され、様々な実験によりその兆候が報告されている[8, 9]。Fig. 3に「マヨラナ」の研究者ネットワークを示す。検索ワードに該当する論文数は1736本であった。この分野では欧米の研究者が精力的に活動していることが見て取れる。とくにL. P. Kouwenhove博士等、オランダの研究グループが中心的な役割を担っている。今回の調査方法では論文数の上位20位までに日本人研究者が含まれていないが、東大のY. Motome博士や横国大のJ. Nasu博士が精力的に研究成果を報告している[10]。
・グラフェン
グラフェンとは、1原子の厚さの炭素原子のシート状物質である。Fig. 4に「グラフェン」の研究者ネットワークを示す。検索ワードに該当する論文数は5734本であった。この分野では、NIMSのK. Watanabe博士、T. Taniguchi博士が他を圧倒する論文数とネットワークを形成していることがわかる。これはグラフェンの物性研究には高品質な基板が必要とされており、その要求を満たすことができるのが両博士の育成したh-BN基板である。両博士のh-BNがなければグラフェンを代表とする二次元物質における様々な新規物性の発見はなされなかったといっても過言ではなく、その貢献は類稀なものである[11, 12]。
Fig. 4 論文数と研究者ネットワーク。 検索ワード「graphe」、閾値:40。 |
・トポロジカル
トポロジカル物質とは従来の金属と絶縁体という分類ができず、トポロジーという数学的な概念を適用することで伝導状態が理解される物質のことである。この分野は、2005年にC. KaneとE. Meleによってトポロジカル絶縁体が理論的に予言[13]され、2007年に実験的に検証された[14]ことを皮切りに、関連物性を含め爆発的なブームが巻き起こっている[15, 16]。Fig. 5に「トポロジカル」の研究者ネットワークを示す。検索ワードに該当する論文数は11359本であった。この分野でも超伝導分野と同様に複雑なネットワークが形成されており、特に中国系の研究者が上位に来ていることがわかる。今回の調査方法では論文数の上位20位までに日本人研究者が含まれていないが、NIMSのK. Watanabe博士、T. Taniguchi博士および東大のY. Tokura博士、ケルン大のY. Ando博士が精力的に研究成果を報告している[17, 18]。
Fig. 5 論文数と研究者ネットワーク。 検索ワード「topolo」、閾値:80 |
・粉体
粉体とは、粉、粒などの集まったものである。例としては、砂、コロイド、磁性流体、コピー機などで使用するトナーなどがあり、その基礎物性とともに工学的な応用の観点からも重要な研究対象となっている[19]。Fig. 6に「粉体」の研究者ネットワークを示す。検索ワードに該当する論文数は941本であった。この分野ではA. Lasanta博士等を含むスペインの研究グループを中心としたネットワークが形成されていることがわかる。日本では大阪大のH. Katsuragi博士と京大のH. Hayakawa博士が精力的に研究成果を報告している。
Fig. 6 論文数と研究者ネットワーク。 検索ワード「granul」、閾値:10 |
[まとめ]
本記事では、「選択と集中」すべき有力な研究者及び共同研究のハブとなっている研究者を特定することを目指した。本調査を実施した分野の中で、複数分野でその活躍が確認できたのはNIMSのK. Watanabe博士、T. Taniguchi博士および東大のY. Tokura博士であった。各研究者は発表論文数や共同研究のネットワークの観点から世界的なハブとなっている有力研究者であるいえる。今後、これら有力研究者に研究開発投資を「選択と集中」していくことで、「ボロンナイトライド立国」、「トポロジカル立国」を目指していくことが、日本の科学技術分野におけるプレゼンスを増していく上で、重要であると考える。
[謝辞]
データの解析の際、コードの高速化に関してコメントを頂いたフォロワーの皆様に感謝いたします。
[参考文献]
[1] ”破壊的技術に1000億円 「選択と集中」どう機能”, 日本経済新聞, 2019/3/30 (2020/5/23閲覧).
[2] 豊田 長康, ”科学立国の危機―失速する日本の研究力”, 東洋経済新報社, 2019/2/1
[3] ”arxivの情報を使って特定分野の共著者ネットワークを書く”, Qiita
(2020/5/23閲覧).
[4] "Heating up of Superconductors", Physical Review Letters.
[5] ”Meet the crystal growers who sparked a revolution in graphene electronics”, Nature 572, 429-432 (2019).
[6] Nagaosa, N., Tokura, Y. Topological properties and dynamics of magnetic skyrmions. Nature Nanotech 8, 899–911 (2013).
[7] Yu, X., Onose, Y., Kanazawa, N. et al. Real-space observation of a two-dimensional skyrmion crystal. Nature 465, 901–904 (2010).
[8] Liang Fu and C. L. Kane, Superconducting Proximity Effect and Majorana Fermions at the Surface of a Topological Insulator. Phys. Rev. Lett. 100, 096407 (2008).
[9] Lutchyn, R., Bakkers, E.P.A.M., Kouwenhoven, L.P. et al. Majorana zero modes in superconductor–semiconductor heterostructures. Nat Rev Mater 3, 52–68 (2018).
[10] Yukitoshi Motome, and Joji Nasu, Hunting Majorana Fermions in Kitaev Magnets. J. Phys. Soc. Jpn. 89, 012002 (2020).
[11] A. H. Castro Neto, F. Guinea, N. M. R. Peres, K. S. Novoselov, and A. K. Geim, The electronic properties of graphene. Rev. Mod. Phys. 81, 109 (2009).
[12] Yankowitz, M., Ma, Q., Jarillo-Herrero, P. et al. van der Waals heterostructures combining graphene and hexagonal boron nitride. Nat Rev Phys 1, 112–125 (2019).
[13] C. L. Kane and E. J. Mele, Z2 Topological Order and the Quantum Spin Hall Effect. Phys. Rev. Lett. 95, 146802(2005).
[14] Markus König et al., Quantum Spin Hall Insulator State in HgTe Quantum Wells. Science, vol. 318 no. 5851 766-770 (2007).
[15] M. Z. Hasan and C. L. Kane, Colloquium: Topological insulators. Rev. Mod. Phys. 82, 3045 (2010).
[16] Wang, J., Zhang, S. Topological states of condensed matter. Nature Mater 16, 1062–1067 (2017).
[17] Tokura, Y., Yasuda, K. & Tsukazaki, A. Magnetic topological insulators. Nat Rev Phys 1, 126–143 (2019).
[18] Y. Ando, Topological Insulator Materials. J. Phys. Soc. Jpn. 82, 102001 (2013).
[19] 早川尚男, "基礎物理としての粉体力学", 粉体工学会誌 37 巻 (2000) 1 号.
[付録]
超伝導分野では、実応用的な観点から超伝導転移温度の高い物質が重要となっている。その中で代表的なのが銅酸化物超伝導体である。その高い超伝導転移温度の起源や特異な物性は、発見から30年が経過した今も多くの研究者の興味を集め、様々な知見を物性物理分野に提供し続けている[20]。そこで、この分野の代表的研究者を調査したのがFig. 7である。検索ワードに該当する論文数は1320本であった。日本の研究者では産総研のH. Eisaki博士が論文数と研究者ネットワークの両面で存在感を示していることがわかる。また、UBCのD. A. Bonn博士を中心とするグループも広いネットワークを形成している。両者は自グループでの研究だけでなく、高品質な銅酸化物単結晶の供給元として世界中にそのサンプルを提供することで、未解決の基礎物性の研究に大きく貢献している。その提供先にはCASのX. J. Zhou博士やスタンフォード大のZ. X. Shen博士といったARPESグループや、MPIのB. Keimer博士やPSIのT. Schmitt博士といった中性子・X線散乱グループが含まれている。
Fig. 7 論文数と研究者ネットワーク。 検索ワード「cupra」、閾値:18 |
[参考文献]
[20] Keimer, B., Kivelson, S., Norman, M. et al. From quantum matter to high-temperature superconductivity in copper oxides. Nature 518, 179–186 (2015).
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