α-RuCl3の量子化熱ホール効果、見えるのか見えないのか論争
20220122 初版
20230308、0309 追記
【イントロ】
近年、次世代の計算手法として、量子コンピュータの研究開発が盛んに進められています。量子コンピュータの方式としては、超伝導、半導体、光量子コンピュータなど様々な手法が提案されています[1]。
その中に、マヨラナ粒子を用いたトポロジカル量子コンピュータと呼ばれる手法があります[2]。この方式の実現のためには、固体中のマヨラナ粒子(マヨラナフェルミオン)を操作する必要があります。その舞台として提案されているのが量子スピン液体と呼ばれる状態(相)にある物質です。様々な量子スピン液体物質候補が探索されていますが、マヨラナ粒子の存在が強く示唆されているのがα-RuCl3という物質で生じる磁場誘起量子スピン液体相です[3]。この磁場誘起量子スピン液体相で観測される半整数量子化熱ホール効果がマヨラナ粒子の強い証拠と考えられています。しかし、この量子化熱ホール効果が「見える」「いや、見えない」という論争が生じています。
最近の論争の現状は、Journal Club for Condensed Matter Physicsに掲載された、P. A. Lee先生の投稿[4]にまとめられています。本記事では、この投稿を元に論争の現状をまとめてみました。
【論争の経緯と現状】
1,発端
論争の発端になったのが、2018年に京都大のグループを中心に報告されたNature論文[5]です。この論文では、磁場誘起量子スピン液体相の熱ホール効果を測定したところ、フェルミオン励起から予測される値の半分の値の量子化熱ホール効果が観測され、マヨラナフェルミオン粒子の存在が主張されています。この最初の論文では、α-RuCl3のハニカム格子面に垂直な方向と水平な方向の両方に磁場をかけ(斜め45°の意味)、面内のa軸方向(Ru-Ruボンドと垂直方向)に熱流を流していました。さらに、続報としてScienceに論文[6]が掲載され、熱流方向と同じ面内のa軸方向に磁場をかけるだけで量子化熱ホール効果が観測できることが報告されています(このことから、観測されている熱ホール効果は、プレーナー熱ホール効果とも呼ばれています)。
ここで、Nature論文では面内に6.5-8T相当の磁場をかけた際に量子化が観測される一方で、Science論文では10-11Tで観測されています。前者は磁場誘起量子スピン液体相に相当する磁場範囲となっていますが、後者はその外側の範囲となっていることに注意が必要だとLee先生は指摘しています。
さて、これらの衝撃的な発見に対して、4つのグループで追試が試みられました。
2-1、量子化するよ派閥
まず、東京大のグループが追試を行い、量子化値が観測できることを報告しています[7]。ただし、量子化するためには熱伝導度の高いサンプルを使用する必要性を指摘しています。
さらにドイツのマックス・プランク研究所のグループも追試を行い、量子化熱ホール効果が観測できることを報告しました[8]。彼らは6.5K以下、10T以上で量子化が生じることを報告していますが、その値は量子化値より20%小さくなっています。ただし、観測された磁場領域は量子スピン液体相が観測される7T-10Tの外側となっています。また、低温ほど熱ホール伝導度が小さくなることも観測されています。
一方で、アメリカのプリストン大のグループは量子化熱ホール効果が再現できないということを報告しました[9]。彼らはScience論文と同じ5K、10Tの状況で量子化値の60%の値にしかならないことを報告しています(一方で、磁場誘起量子スピン液体相で熱伝導の量子振動を観測し、謎の中性粒子の存在を提案しています)。
図、量子スピン液体相で観測される熱伝導度の量子振動。 量子振動があるということは、スピノンフェルミ面が存在する可能性がある。 |
その後、プリンストン大が2本目の追試論文を投稿しました[10]。その中では、先の論文より広い温度、磁場範囲で熱ホール効果を測定したところ、量子化値はやはり観測できないことが報告されています。さらに低温ほど熱ホール伝導度が減少することから、マヨラナ粒子が存在する場合に期待される一定値への収束にも反していることが主張されています。このことから熱ホール効果の原因は謎のボーズ粒子的励起ではないかと彼らは考えているようです。
また、カナダのシャーブルック大も熱ホール効果の測定を行っています[11]。彼らは熱伝導度と熱ホール効果の大きさが比例することから、熱ホール効果の議論をする際にはフォノン励起の寄与を慎重に判断する必要があると主張しています。ただし、厳密には量子化熱ホール効果の磁場依存性の測定を行っていないので、ここでは直接的な追試には含めないことにします(面内磁場7Tで観測された熱ホール伝導度の値は量子化値の1/10程度となっています)
これらの相矛盾する結果に対して、Lee先生はマックス・プランク研究所のTakagi先生との私信に基づき、測定に使用しているサンプルの作り方が異なることが原因である可能性を指摘しています[4]。量子化値が観測できた京都大、東京大、マックス・プランク研究所が使用したサンプルは東工大提供のブリッジマン法[12]で作成されています。一方で、量子化が観測できなかったプリンストン大(とシャーブルック大)のグループはオークリッジ国立研(ORNL)から提供された化学蒸気輸送(CVT)法[12]によるサンプルを測定に利用しています。実際、マックス・プランク研究所のグループがCVT法によるサンプルを測定してみると、プリンストン大の観測した熱伝導度の量子振動の再現ができたとのことです。この2種類の作成法によるサンプルの定量的、定性的な違いは明らかになっていませんが、ブリッジマン法サンプルの方が熱伝導度が2倍ほど大きいことから不純物や格子欠陥の多少に差があるのではないかと考えられているようです。
上記のような指摘はあるものの、実際の不一致の原因はまだ明らかになっていません。今後さらなる研究が進むことが期待されています。
【実験結果の比較】
上記で述べた論文について、熱ホール効果の磁場依存性を並べて比較してみた結果が以下のようになります。たしかに、量子化している結果としていない結果、はっきり違いがみえていますね。
・・・いますよね?
図、各グループの熱ホール効果の測定結果 |
【まとめ】
α-RuCl3の量子化熱ホール効果の論争についてまとめてみました。おもしろいですね。
興味深い結果だからこそ、実験家、理論家含めて様々な議論が巻き起こり盛り上がっています。今後も注目していきたい分野です。
【参考文献】
[1] 柴垣和広、量子コンピューター実現の鍵はスケーラビリティの確立
[2] 松尾貞茂、トポロジカル量子コンピュータの実現に向けたマヨラナ粒子の探索
[3] 高木英典 他、キタエフ量子スピン液体のコンセプトと実現
[5] Kasahara, Y., Ohnishi, T., Mizukami, Y. et al. Majorana quantization and half-integer thermal quantum Hall effect in a Kitaev spin liquid. Nature 559, 227–231 (2018).
[6] Yokoi, T., S. Ma, Y. Kasahara, S. Kasahara, T. Shibauchi, N. Kurita, H. Tanaka et al. ”Half-integer quantized anomalous thermal Hall effect in the Kitaev material candidate α − RuCl3.” Science 373, no. 6554 (2021): 568-572.
[7] M. Yamashita et al., Sample dependence of half-integer quantized thermal Hall effect in the Kitaev spin-liquid candidate α−RuCl3, Phys. Rev. B 102, 220404 (2020)
[8] J.A.N. Bruin et al., Robustness of the thermal Hall effect close to half-quantization in a field-induced spin liquid state, arXiv:2104.12184
[9] Czajka, P., Gao, T., Hirschberger, M. et al. Oscillations of the thermal conductivity in the spin-liquid state of α-RuCl3. Nat. Phys. 17, 915–919 (2021).
[10] Peter Czajka et al., The planar thermal Hall conductivity in the Kitaev magnet α-RuCl3, arXiv:2201.07873
[11] É. Lefrançois et al., Evidence of a Phonon Hall Effect in the Kitaev Spin Liquid Candidate α-RuCl3, arXiv:2111.05493
[12] 平林 良次、単結晶作成とその装置
【2023年3月7日、追記】
記事を書いてから1年。追加の研究が続々と発表されたので、簡単にまとめてみました。
よくわからんくなってきた。
●熱伝導で見えた量子振動、比熱では見えないよ。あと、熱ホール効果の量子化が消える磁場でトポロジカル相転移が起きてるっぽいよ(By Y.Matsuda Group)
Evidence for the first-order topological phase transition in a Kitaev spin liquid candidate α-RuCl3
●熱ホール効果か量子化するかはサンプルのクオリティに依存することを明らかにした研究。よりクリーンなサンプルが量子化の観測には必要。不純物散乱と非キタエフ相互作用が量子化の有無に関わっているという主張。
→ブリッジマン法で作ったサンプルでも量子化の有無がバラつくのはめんどくさい。
Quantized and unquantized thermal Hall conductance of Kitaev spin-liquid candidate α-RuCl3●熱伝導の量子振動は連続磁気転移を見てるだけだよ(By H.Takagi Group)
Origin of oscillatory structures in the magnetothermal conductivity of the putative Kitaev magnet α-RuCl3
●熱伝導の量子振動は連続磁気転移を見てるだけだよ(By Louis Taillefer Group)
Oscillations in the magnetothermal conductivity of α-RuCl3: Evidence of transition anomalies
→まあ、これはそうかも。。。
●プリンストン大Ong研のCzajkaさんの博論
RuCl3の熱伝導と熱ホール効果について他のグループの結果をどう解釈してるのか書いてて面白い。曰く、
・「これまで何度も強調してきたように、熱ホール効果の測定は非常に困難であり、適切な専門知識を持つグループは世界でも非常に限られています。これが、私たちが他の数少ないグループの研究成果を多く参照している理由です。」
・「なお、同様のレポートがYamashita et al.によって発表されましたが[120]、このレポートのデータは主張を正当化するにはノイズが多すぎるというのが我々の意見です(コミュニティの多くのメンバーと同じ)。」
・「私たちの結晶は、量子化を示す京都グループの結晶と同程度(場合によってはそれ以上)」
「京都グループでは、当社とは異なる測定方法を採用しており、結晶品質の劣化につながる可能性があると判断」
「私たちが有害と考えるのは、実験用に結晶を長方形にカットしていること」
・「彼らは、ロバストな半整数の量子化κxy/Tを確認したと主張しているが、彼らの報告書に示された証拠は、「ロバスト」というラベルの使用を正当化するものではないようだ。」
・「私たちのデータとの明確な類似性から、サンプルの違いだけでは各グループ間の異なる結果を説明するのに十分でないことが強く示唆されます。」
・「本論文で述べたように、これらの測定は信じられないほど難しく、私たちのグループや松田グループが持つ長い経験なしに成功させたBruinらの成功に非常に感銘を受けたのです。しかし、「ロバスト」というラベルは、このような高いノイズレベルを持つデータを表現するための不誠実な方法に過ぎない。」
・「量子化された熱輸送はまだ決定的に示されておらず、我々の結果を質の悪い結晶のせいだとする試みは不当である。」
→強気の主張が並んでいる。面白いぜ。あと、熱伝導の量子振動を主張したのはOng先生らしく、そこも興味深い。
Exotic Thermal Transport in a Kitaev Magnet
●熱ホール効果の論争について、Nature Materialに寄せられたコメント
「今後、試料の積層状態、磁気秩序のモーメント方向、帯磁率の異方性、動的励起、異なる磁場方向での熱ホール測定など、あらゆる情報を得るための徹底した実験研究が、KSLを実現するための材料探索を進めることになる。」
→言うは易し、行うは難し…
Thermal Hall conductivity of α-RuCl3
●α-RuCl3を中心としたKitaev物質のレビュー。特に合成方法についての議論が詳しい。
CVT法とブリッジマン法で合成された結晶のクオリティの判定基準、何が量子化の有無を決めているのか。決定的な因子の特定が求められる。
→あと低温の結晶構造のコンセンサスが取れてないって地味にめんどくさそう。
「しかし、低温構造に関するコンセンサスはまだ得られていない。構造決定の最大の難点は、構造転移温度以下で生じる強い散漫な散乱である。このような散漫な散乱は、室温では散漫な散乱のないきれいな試料でも、構造転移温度以下に冷やすと観察される。」
α-RuCl3 and other Kitaev materials
●アメリカの新しいグループが議論に参戦!(By オークリッジ国立研究所)
1,熱伝導の振動は積層欠陥由来じゃなくてジグザグ磁気相特有ぽい
→え、連続磁気転移じゃないってこと???
2,積層欠陥多いサンプルの方が熱ホール効果が量子化してるドイツの結果に近い結果。クリーンな方の結果はプリンストン大の結果に近いものになってる。
→これほんま意味わからん。サンプルのクリーンさを競ってたん違ったんか???
The sample-dependent and sample-independent thermal transport properties of α-RuCl3
量子化させるには2つの戦略がある
・積層欠陥が少なく熱伝導率が高い高品質な試料を使用する
・熱ホール抵抗率が高い試料を使用する
つまり、
・積層欠陥の少ないTN=7Kサンプルの中では、相対的に積層欠陥が少ない磁気転移温度の高いサンプルのほうが、量子化値に近づく
・上の論文の通り、積層欠陥の多いTN=14Kのサンプルでも量子化値の熱ホール効果は見える
という主張。なんもわからん。。。
Symmetry-based requirement for the measurement of electrical and thermal Hall conductivity under an in-plane magnetic field
「原理的には、抵抗テンソルの少なくとも3つの独立した成分の測定には、2つの独立した実験セットアップが必要」、UTの車地さんが単著だしてる。
熱ホール効果も含めたホール効果の絶対値に出し方には注意が必要とのこと。
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