マイクロソフトはマヨラナの夢を見るか~固体中におけるマヨラナ粒子観測論争について~



【イントロ】

人生ほんと辛い。
助けてほしい。
なので、すべてを解決する万能の力[1]が欲しいって思ったことありませんか?
実はあります。
そう、それが量子コンピュータです。

 本記事では、近年話題になっているMicrosoft社によるトポロジカル量子コンピュータ実現に向けた固体中のマヨラナ粒子発見論争についてまとめてみました。
各種論文や記事をまとめた内容になっていますので、自分の備忘録でもあります。

【背景】

 現在世界中で量子コンピュータの研究が盛んに行われています[2]。超伝導方式[3]やイオントラップ方式[4]、光方式[5]など様々な方法が提案されていますが、まだ実用的なデバイスは誕生していません。その理由の一つが、量子コンピュータがノイズに弱く誤り訂正の技術が確立されていないためです[6]。
量子コンピュータの進展[3]

 誤り耐性を持つ量子コンピュータの方式として注目されているのが、Kitaevが提案したボソンでもフェルミオンでもないエニオンと呼ばれる非アーベル統計に従う準粒子を利用したトポロジカル量子コンピュータです[7]。この方式において、局所的な擾乱によるエラーはそのトポロジカルな性質によって抑制されるため、誤り耐性をもった量子コンピュータが構築できることが期待されています[8]。
 エニオンの代表的な例が、粒子と反粒子が同一の粒子であるマヨラナ粒子であり、その発見と制御がトポロジカル量子コンピュータ実現への第一歩となります[9]。マヨラナ粒子は、素粒子分野ではニュートリノが該当する可能性があり研究が進められています[10]。一方で、固体中の素励起、マヨラナ励起として実現する可能性があり注目されています[11]。実際、2000年前後の20年間で、「Majorana」(マヨラナ)を含む凝縮物性(Condensed Matter)分野の論文が10倍以上に増加しているという調査もあり、現在もホットなトピックとなっています[12]。具体的には鉄系超伝導体[13]や量子スピン液体[14]などでその創発が報告されていますが、デバイスへの応用が近いと考えられているのが超伝導体-半導体ナノワイヤヘテロ構造です[15]。
 超伝導体-半導体ナノワイヤヘテロ構造は、超伝導体に半導体ナノワイヤが接合された構造でありマヨラナ粒子(励起)が創発するトポロジカル超伝導が実現している可能性が理論的に提案されています[16]。デバイス製造に既存の半導体製造技術が応用できることもあり、有力な方式として研究が進められています。
図、超伝導体-半導体ナノワイヤヘテロ構造の概念図[15]


【最初の報告】

 このヘテロ構造は、2012年にデルフト工科大のL. P. KOUWENHOVEN らがInSb/NbTiN構造においてゼロバイアスコンダクタンスピーク(マヨラナ励起の兆候の1つ)を観測したことをScience誌に報告したことで一層注目が集まりました[17]。さらに、KOUWENHOVENらはMicrosoftの協力も得てさらなる研究を進め、InSbをAlで覆った構造において量子化ゼロバイアスコンダクタンスピークというマヨラナ励起の強力な証拠をNature誌に報告し、マヨラナ励起の発見を決定的なものとしました[18]。この報告をもってMicrosoft社は5年以内のトポロジカル量子コンピュータの実現目指す宣言をするなど、超伝導方式を進めていたIBMやGoogleなどとは違った方式で量子コンピュータ実現競争に参戦し、競争は更に激しくなるかに見えました[19]。
図、Nature誌に報告された量子化ゼロバイアスコンダクタンスピーク[18]

 ところが2020年に、Science論文の共著者であったFrolovらがNature論文のデータに疑義を唱え[20]、Nature論文は撤回されるに至りました[18]。追試と調査が行われたところ、元データが「不必要に修正されていた」ことが判明し、マヨラナ励起が存在する実験的証拠を提示できなくなったためです。実際、Nature論文の共著者の一人でもあるS.D.Sarmaらが理論的考察を進めた結果、この構造でマヨラナ励起を観測するには遥かにクリーンな系を作製する必要があり、実験的には類似の別の現象(ゼロバイアスアンドレーエフトンネルピーク)を観ていた可能性が高いと考えられています[12,21]。
 こうして、マヨラナ励起を利用したトポロジカル量子コンピュータの夢は露となって消えたかにみえました。

【再びの報告】

 2022年7月、Chetan Nayak率いるMicrosoftのチームは、再度「マヨラナ励起を発見した」ことを報告し、再び夢が現実に近づきました[22]。Arxivに投稿されたこの論文では、デバイスの改善とシミュレーションに基づくマヨラナ励起検証の洗練されたプロトコルを持って高い確率(98%)でトポロジカル超伝導とそれに付随するマヨラナ励起を観測したことが主張されています。具体的にはゲート電圧と磁場によるトポロジカル超伝導の量子相転移制御、それに伴うバルクギャップの開閉、そしてデバイス両端でのゼロバイアスピークの同時観測といったマヨラナ励起の特定に必要な各種現象が報告されています。
図、改良されたデバイスでのマヨラナ励起の報告[22]

 この報告に対して、デルフト工科大のAnton AkhmerovがJournal Club for Condensed Matter Physicsにてコメント記事を上げています[23]。コメントではMicrosoftの試みを肯定的に捉えながらも、論文にはいくつかの問題点があり、Microsoftの論文だけではマヨラナ励起の観測を主張出来ないのではと指摘しています。具体的には以下3点の問題点を上げています。
  1. ナノワイヤ両端のゼロエネルギー共鳴の残留結合の強さを示していないこと。論文では数値計算からマヨラナ励起の局在長を1um程度と見積もっているが、これはデバイス長3umに対してかなり長い。トポロジカル保護の性質を活用するには10um以上の長さのデバイスで現象を検証する必要があるが、製造上の歩留まりの問題で実験データを示せなかったのであろうとAkhmerovは推測している
  2. 検証プロトコルがマヨラナ励起の発見を過剰評価する統計的バイアスを含んでいること。特にプロトコルを通過するパラメータの選定方法が明記されていないため、もしゆるいパラメータが選択されていれば偽陽性が観測されることになる
  3. 著者たちの実験内容が曖昧にしか記載されていないため、科学コミュニティが追試できない。例えば、数値計算に使用した手法の詳細が記載されていないため、計算が再現できない形になっている。またデバイスの構成材料やそのサイズ、選定基準が記載されていないため、実験的検証も不可能になっている
 以上の結果から、マイクロソフトの試みの方向性は正しく、量子輸送測定の分野でも厳密で定量的な評価が可能なことを示したことに価値はあるが、この結果のみからはマヨラナ励起の発見を確証できないとAkhmerovは総括しています。
 また、前述のFrolovも今回のマイクロソフトの報告に懐疑的な見方をTwitter上で投稿しています[24]。Frolovによれば以下の5つの基準をクリアすることがマヨラナ励起の発見報告に必要だと主張していますが、今回の論文はその基準を満たしていないようです。
  1. 正確なゼロバイアスピーク
  2. スピン軌道相互作用の異方性を反映すること
  3. 電圧と磁場に対するゼロバイアスピークの存在を示す相図が確立してること
  4. ゼロバイアスピークが電場に対して振動すること
  5. ナノワイヤ両端でゼロバイアスピークが同時に観測されること
 このようなマヨラナ励起発見の有無に関する論争が生じる原因について、FrolovはNature誌にコメントを出しています[25, 26]。それに依ると、「マヨラナ励起観測の実験では大量のデータが報告されるため、チェリーピッキングにより都合の良いデータを抽出可能なこと」や「デバイスの実現には、ナノテク・超伝導・材料・デバイスエンジニアリングなどあまりに多様な知識が必要なため、査読者が実験的・理論的プロセスを評価しきれないこと」が原因であると指摘されています。

【まとめ】

 本記事では、Microsoft社によるマヨラナ粒子発見報告の論争をまとめてみました。所感としては、まだまだマヨラナ励起が実際に観測されたとは言えない状況に感じています。また仮にマヨラナ励起が発見されても量子コンピュータの実現にはまだまだ実現しないといけないことが多く、研究すべき内容は多分に存在しています。
とはいえ、やることたくさんあるので夢がありますね。理屈上可能であればいずれは見つかるであろうと個人的には楽観的に考えています。
トポロジカル量子コンピュータの夢は終わらない

【参考文献】

[2] Farzan Jazaeri et al., A Review on Quantum Computing: Qubits, Cryogenic Electronics and Cryogenic MOSFET Physics, arXiv:1908.02656
[3] Morten Kjaergaard et al., Superconducting Qubits: Current State of Play, Annual Review of Condensed Matter Physics, Vol. 11:369-395 (Volume publication date March 2020)
[4] Colin D. Bruzewicz et al., Trapped-ion quantum computing: Progress and challenges, Applied Physics Reviews 6, 021314 (2019)
[5] Warit Asavanant and Akira Furusawa, Optical Quantum Computers: A Route to Practical Continuous Variable Quantum Information Processing [AIP Publishing (online), Melville, New York, 2022]
[6] Joschka Roffe, Quantum Error Correction: An Introductory Guide, arXiv:1907.11157
[7] A.Yu.Kitaev, Fault-tolerant quantum computation by anyons, Annals of Physics
[8] Chetan Nayak et al., Non-Abelian anyons and topological quantum computation, Rev. Mod. Phys. 80, 1083 – Published 12 September 2008
[9] Sarma, S., Freedman, M. & Nayak, C. Majorana zero modes and topological quantum computation. npj Quantum Inf 1, 15001 (2015).
[10] A. Baha Balantekin and Boris Kayse, On the Properties of Neutrinos, Annual Review of Nuclear and Particle Science, Vol. 68:313-338 (Volume publication date 19 October 2018)
[11] Search for Majorana Fermions in Superconductors, Annual Review of Condensed Matter Physics, Vol. 4:113-136 (Volume publication date April 2013)
[13] Lina Sang et al., Majorana zero modes in iron-based superconductors, Matter
[14] Takagi, H., Takayama, T., Jackeli, G. et al. Concept and realization of Kitaev quantum spin liquids. Nat Rev Phys 1, 264–280 (2019).
[15] Pasquale Marra, Majorana nanowires for topological quantum computation: A tutorial, arXiv:2206.14828
[16] Roman M. Lutchyn, Jay D. Sau, and S. Das Sarma, Majorana Fermions and a Topological Phase Transition in Semiconductor-Superconductor Heterostructures, Phys. Rev. Lett. 105, 077001 – Published 13 August 2010
[17] V. MOURIK et al., Signatures of Majorana Fermions in Hybrid Superconductor-Semiconductor Nanowire Devices, SCIENCE 12 Apr 2012 Vol 336, Issue 6084 pp. 1003-1007
[18] Zhang, H., Liu, CX., Gazibegovic, S. et al. RETRACTED ARTICLE: Quantized Majorana conductance. Nature 556, 74–79 (2018).
[20] Sergey Frolov, So, You Think You Discovered a New State of Matter?, May 12, 2021• Physics 14, 68. Sergey Frolov, Vincent Mourik, We cannot believe we overlooked these Majorana discoveries, arXiv:2203.17060
[21] Sankar Das Sarma, Haining Pan, Disorder-induced zero-bias peaks in Majorana nanowires, Phys. Rev. B 103, 195158 – Published 28 May 2021
[22] Microsoft Quantumy, InAs-Al Hybrid Devices Passing the Topological Gap Protocol, arXiv:2207.02472
[23] Anton Akhmerov, What can we learn from the reported discovery of Majorana states?, DOI: 10.36471/JCCM_July_2022_01
[25] Sergey Frolov, Quantum computing’s reproducibility crisis: Majorana fermions, Nature 592, 350-352 (2021)
[その他参考とした記事]

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