チョウデンドウは作れる❤ ~C-S-H系高圧室温超伝導の撤回とHirschの批判~

 【イントロ】

 室温で電気が散逸なく流れる超伝導の実現は、様々な産業の形態を変えてしまう可能性のある夢のある技術です。その実現の舞台として古くから高圧下の金属水素が着目されていました。2015年にドイツのEremetsらのグループが硫化水素の高圧下高温超伝導を発見して以降、水素化物に注目が集まっていました。
 そんな中、人類最初の室温での超伝導状態の実現として、R. Dias等によるC-S-H系高圧超伝導論文がNatureに掲載されセンセーショナルなニュースとなりました。しかし、Eremetsらのグループ含め、Diasらのグループ以外での追試は尽く失敗し再現性の観点から疑問が抱かれていました。加えて、アメリカの物理学者、J. E. HirschらはNatureに掲載されたデータ、特に磁化率のバックグラウンド信号除去の取扱に疑義があると批判を続けていました。その中で、Hirschの批判論文が撤回されたり、Diasたちの関連PRL論文が撤回されたりと論争は激しさを増していました。
 これら批判に答える形で、2022年9月、Natureは当該論文の撤回を決定しました。この撤回に対して、「磁化率の生データでも十分超伝導の証拠になっている」「超伝導のもう一つの証拠たるゼロ抵抗は否定されていない」とDiasら著者たちは同意していませんが、データの不透明な取り扱い自体がデータの信憑性を疑わせるということでNature編集部の権限で撤回が決定されたようです。(追記:Natureの関連ニュース
 この論争はScience誌でも「‘Something is seriously wrong’: Room-temperature superconductivity study retracted」として、早速特集記事が組まれています。撤回に同意していない著者たちは、生データを含んだ形で当該論文をNatureに再投稿を検討しているそうです。さらには、未発表の発見も含めた室温超伝導体を利用したビジネスを行おうとしています。一方で、J. E. Hirschは引き続き論文そのものが偽りなのではないかと疑っており批判を続ける意思のようです。Scienceの記事にあるEremetsの「Diasたちの新たな室温超伝導の発見をどうして信じられる?彼が触るものはすべて黄金に変わるのか」というコメントは、かつてのベル研シェーン事件を思い出させてくれて印象深い物となっています。(追記:Gigazineの記事Physics.orgの記事ARS TECNICAの記事
 そこで本記事ではHirschがどのようなイチャも・・・批判を行ってきたか振り返って見たいと思います。

登場人物たちの相関図(イメージ)
参考HP(


【手法】
 ArxivにてJ. E. Hirschの論文を検索しました。また、Hirsch先生のホームページも参考にしています。内容としては以前書いたブログとも一部重複がありますのでご興味ある方は参考ください。批判には、水素化物高圧超伝導一般の話と今回話題のC-S-H系高圧室温超伝導の話の両方を含んでいます。
 ちなみにHirschは批判論文を上げすぎてArxivに一時的に垢バンされていたそうです。
ウケる。

【まとめ】
 本記事では、C-S-H系高圧室温超伝導Nature論文の撤回とHirschによる水素化物超伝導への批判について取り上げました。言いたい放題ですね。
 最初はいちゃもんかと思ってましたがNature論文の撤回まで至るのは想像以上でした。超伝導の証拠を確実に得るのは慎重な実験が必要であることを思い出させてくれます。
 室温超伝導の実現は再び不透明な状況になりましたが、Eremetsの「科学はこれらのことを恐れていません」「真実は、遅かれ早かれ明らかになるでしょう。」という主張が実現することを期待するところです。
 室温超伝導への道はまだまだ残っています。最近では秋光先生のチタン系室温超伝導の可能性や、マンガン酸化物薄膜の高温超伝導(謝辞)の可能性が報告されています。次の主役になる物質はどれか?これからも超伝導は私達の知的好奇心を楽しませてくれそうです。

【結果】

1,Absence of high temperature superconductivity in hydrides under pressure
主張:DiasらがNatureに報告したC-S-H系高圧室温超伝導は超伝導じゃないという主張。転移に伴う抵抗率の変化がシャープ過ぎて従来の超伝導では説明できないという。

2,Nonstandard superconductivity or no superconductivity in hydrides under high pressure
Phys. Rev. B 103, 134505 (2021)
主張:水素化物超伝導一般に見られる超伝導転移に伴う抵抗率の変化が、従来型超伝導では
説明できないという主張。タイプ1,2型超伝導を超える「非標準超伝導」の実現、もしくはそもそも超伝導転移と思ってる電気抵抗の変化が、別の現象を誤って解釈している可能性を指摘している。例えば電気抵抗の磁場依存性をみると、普通の超伝導体は転移がブロードになるのに、水素化物超伝導は全然変わってなくておかしい、みたいな感じらしい
3,Meissner effect in nonstandard superconductors
Physica C 587, 1353896 (2021)
主張:H3S高圧超伝導で観られた核共鳴散乱法による観測されたマイスナー効果が従来超電導よりも遥かに大きいため、水素化物超伝導が「非標準超伝導」であると主張している。
4,Absence of magnetic evidence for superconductivity in hydrides under high pressure
Physica C 584, 1353866 (2021)
主張:「この論文では、2015年に行われた硫黄水素化物の磁気測定が超伝導の証拠であるという当初の解釈に異議を唱えます」とのこと。

5,Flux trapping in superconducting hydrides under high pressure
Physica C 589, 1353916 (2021)
主張:「ここでは、これらの物質が本当に高温超伝導体であることを決定的にするはずの、捕捉された磁束の測定について説明する。この測定が行われなければ、これらの物質が高温超伝導体であるという主張が裏付けられるはずである。」とのこと。磁束トラップが観測されていないことを問題視している。
6,Faulty evidence for superconductivity in ac magnetic susceptibility of sulfur hydride under pressure
National Science Review 9: nwac086, 2022
主張:「Huangと共同研究者は、高感度交流帯磁率法によって硫黄水素化物の超伝導を検出し、超伝導相図を明確に決定することを報告した。本論文では、その論文で報告された実験結果が、硫黄水素化物が超伝導体であるという結論を支持しないことを示す証拠を提示するものである。」とのこと。
バックグラウンドの差し引きは正しいが、「バックグラウンド信号の測定では異常が見られなかったことから、観測された帯磁率曲線の傾きの変化は、超伝導転移を示すものではなく、実験的なアーティファクトであることが強く示唆」するらしい。

7,Absence of evidence of superconductivity in sulfur hydride in optical reflectance experiments
Nature Physics, published 11 Aug. 2022
主張:H3S高温超伝導の高圧下赤外分光測定から得られた超伝導転移の兆候に対して、「ここでは、測定されたデータが、この系が超伝導状態に転移したことを示すものではなく、また、転移を促進するフォノンの役割を裏付けるものでもないことを論証する。むしろ、この実験では最低温度である50Kまで常伝導状態が保たれていることを示すデータである」との主張。

8,Clear evidence against superconductivity in hydrides under high pressure
Matter and Radiation at Extremes 7, 058401 (2022)
主張:Minkovらによる金属水素化物高圧超伝導のマイスナー効果測定に対して、「この論文で提示された証拠は、これらの物質が超伝導であることを支持するものではないことを、ここで明らかにする。以前の論文で議論された実験的証拠と合わせて、このことは、圧力下の水素化物が高温超伝導体ではないことを強く示唆」すると主張している。ついに水素化物超伝導を全否定である。

9,On the ac magnetic susceptibility of a room temperature superconductor: anatomy of a probable scientific fraud
(※ただしPhysica C掲載版が一時的に撤回されているため、Arxivの最新版は撤回されている)
主張:DiasらのC-S-H系高圧室温超伝導についての批判。このあたりからバトルが加熱し始めた。「ここでは、その論文で発表された帯磁率データが、おそらく不正なものであることを示すいくつかの論点を紹介する。このことは、この論文全体と、室温超伝導の検出という主張の妥当性に疑問を投げかけるものである。また、この結論に至るまでに、私が遭遇した障害についても説明する」とのこと。PRLに昔出たEu高圧超伝導の論文と比較・批判しながら、磁化率のデータがおかしいという批判を加えている。その上生データをなかなかもらえなかったという不満を述べている。

10,Extended Comment on Nature 586, 373 (2020) by E. Snider et al
International Journal of Modern Physics B, 2375001 (2022)
主張:Dick van der MarelとHirschの共著でDiasらのNature論文の磁化率のデータを批判している。「(i) 報告されたバックグラウンド補正された帯磁率データは病的であり、(ii) それらは本論文に記載された方法によっても、その後著者らによって提供された代替の3つの方法のいずれによっても得られず、(iii) 「測定電圧」データは生データでないこと」を主張している。
このあたりから雲行きが怪しくなってきた。


11,Evidence against superconductivity in flux trapping experiments on hydrides under high pressure
J. Super. & Novel Mag. 2022, https://link.springer.com/article/10.1007/s10948-022-06365-8
主張:Eremets等によって報告された、水素化物超伝導の磁束トラップの観測報告に対して批判を加えている。「これらの実験で使用されたプロトコルの下では、測定結果はこの材料が磁束を捕捉していないことを示すと指摘します。このことは、先に分析した他の実験的証拠と合わせて、これらの材料が超伝導体でないことを明確に示して」いると主張している。

12,How to measure a voltage without going to the lab
主張:DiasらのNature論文で報告された磁化率を計算式で「作る」方法を説明したホームページ。煽り力がスゴイ。何が行われているかのHirschによる解説ページとMarelによる解説ページもある。
なんやねんこれ。

【その他参考文献】

Pressure-induced superconducting CS2H10 with an H3S framework
Phys. Chem. Chem. Phys., 2021,23, 22779-22784
CSH系超伝導の結晶構造を予測した論文

X-ray diffraction and equation of state of the C–S–H room-temperature superconductor
Diasらによる、CSH系超伝導の結晶構造をX線回折で明らかにした論文。

Structure and composition of C-S-H compounds up to 143 GPa
Diasらと別グループがCSH系超伝導の結晶構造をX線回折で明らかにした論文。同じような結論に至ってるぽい。

Enhanced superconductivity in C-S-H compounds at high pressure
CSH系超伝導が高温超伝導を示す理由を理論的に検討した論文

Missing theoretical evidence for conventional room temperature superconductivity in low enthalpy structures of carbonaceous sulfur hydrides
CSH系化合物の17000パターンの局所最適構造の超伝導転移温度を計算し、従来型超伝導では説明がつかないことを明らかにした論文。

Standard Superconductivity in Carbonaceous Sulfur Hydride
DiasらによるHirschらへの反論論文。重要な表の一部を画像にして読み込みづらくするという荒業を行っている。なんでやねん。

Vector graphics extraction and analysis of electrical resistance data in Nature volume 586, pages 373-377 (2020)
CSH系高圧室温超伝導Nature論文、磁化率だけじゃなくて、電気抵抗も捏造じゃね?論文。
これもう分かんねぇなぁ。。。(2022/10/23追記)

Analysis of electrical resistance data from Snider et al., Nature 586––––, 373 (2020)
電気抵抗捏造説の追試。ベル研OBの方かな?(2023/1/15追記)

Observation of Conventional Near Room Temperature Superconductivity in Carbonaceous Sulfur Hydride
CSH系高圧室温超伝導、ネイチャー撤回にめげず再チャレンジキタ━(゚∀゚)━!
今回は磁化率、電気抵抗(データはない)に加えて、X線構造解析と高圧下赤外分光による超伝導ギャップ観測も含んでこれで勝つる!
ハーシュコメント期待(2023/2/20追記)


コメント

  1. 測定電圧の分解度11桁があるとすると、10 1/2 Digital Multimeterが必要。これは36 bit ADCを内蔵する必要がある。そんな高分解度なDMMあるんですだっけ?

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